2005年9月20日火曜日

むをふぃとぅをつぅ

ウィルソンの本を読んでいると-彼の著作の殆どすべてが一人称の男という事が一因だけど-、むか~しロスに住んでいたときに見に行った知り合いのバンドの対バンだったヴォーカリストが脳裏に浮かぶ。そのヴォーカリストがウィルソンの著作を飾る主人公その人と被ってしまう-というよりもコリン・ウィルソンその人に。

その男、ヴォーカリストといっても風貌はロックミュージシャンのそれとはまったく相反する、アザラシみたいなでっぷり体形で何日も洗ってなさそうな脂ぎった坊ちゃんカットにふちのぶ厚いメガネをかけ、薄汚いヨレヨレTシャツを着たえらく図体のでかいオタクおやじだった。そんな風貌にもかかわらず(?)デスメタルよろしくのドンシャリギターを爆音でかき鳴らしなにやら小難しい歌詞を喚き散らしていた。当然ライヴを見に来ている女たちからは敬遠され、というよりも反感を買うばかりだった。やがて演奏が終わって次のバンドを待っていると、その男、当時オレが付き合っていた彼女をライヴハウスの薄暗闇のなかから凝視、そのまま一直線、すれ違いざまに彼女にぶち当たった。そして振り返るなり「excuse me」とわざとらしく一言。離れて一部始終を眺めていたオレは「コイツいま彼女とわざとぶち当たって気を向かせようとしたな」とすぐに判った。また「姑息にも当たった瞬間彼女の身体をチェックしやがった」とも判った。その姑息さに怒りが湧き上がったが、ここで難癖つけても負けることは承知のこと、そのまま気を落ち着かせたけど、「・・なるほど、ただの馬鹿にはできないワザ」でもあった。

どうやらその男の顔とウィルソンのメガネをかけた古い白黒写真が頭の中で交差しているみたいなのだ。
またじつをいうとオレ自身はその男の演奏をそれなりの解釈で聴いていた数少ないオーディエンスだった。じつにそれからさらに数ヶ月遡るころテレビでやっていた実験メタルのその音とその男の音は似ていた。

実験メタル・・、というネーミングかどうか判らないけど、デスメタルをアーティスティックにとらえた音楽。
そのテレビではギターを始めてまだ1日の人にドンシャリギターを持たせジャムったりいろんなことをやっていた。ちょうどニルヴァーナが出始めた頃、オルタネイティヴ系でえらくエクスペリメンタルなロックがいろいろあった。MTVでも良く流れてて、アタマで理解してノイズで乗る、みたいな変わった音楽が一瞬だったけど、シーンにあった。もうバンド名とかはすっかり忘れたけど。・・なんにせよ、そういう中から My Bloody Valentine みたいなスゲーバンドがでてきたと思う。

ハナシをもっとそらすと、昔クラブエイジアで一緒だった某プロデューサーに
「結局音楽ってトーンじゃネーかな?」とふったら、
30秒くらい黙って「いや、そんなことない」
とマジで答えられたことがあった(その後その友人はエーベックスに就職して元SPEEDのhiroのA&Rになった)。
ドラマツゥルギーがシェイクスピア以降革新的な発展を遂げてないのと同じような意味で音楽も不協和音とか12音階とかあるけど、より一般を対象としたとき結局それほどの発展はない。やはり変わっているのはトーンくらいじゃないんだろうか?これはほかにも言ってる人いると思うけど、自論で「録音」が近代音楽の最大の革命だと思う。そこから発展して音楽の幅も広がったけど、結局のところはトーンが変わっただけ。旋律の革新的発展はそうない。
ドラマトゥルギーと旋律は同じ方針、または同じ生理的ルールを持っていると思う。
みんなそれが馴染めるわけだ。

リズムもあるけどね。
・・・リズムとモンタージュ

まあ、とにかく、あの男のことは忘れられない(笑)。
むろんウィルソンがそんなこと聞いたら怒るだろうし、こっちとしてもそんなこと忘れたいが・・
ただ、なんというかそのどこかけっして馬鹿ではない・・というか物知りで持説自論を持った気質が二人を共通させるわけだが・・
う~ん・・。

ま、いいや。
長くなっちゃった。