2024年9月7日土曜日

2024/9/6

昨日、あることを思い出して何年も開いてなかった黒澤明の本を手に取って、気になったところを発見してそのまま何気なく他の箇所も読んだりして、また棚にしまったんだが、あとでSNSで黒澤監督の命日だったと気がついた。これって記憶のどこかの器官が無意識にそういう行動をとらせたのだろうか?それともなんかあっちの世界で知らせようとしてくれてるのか?? 本には当時赤線を引いたりして独学で映画の勉強してた頃の自分がそこにいて、いろいろ感慨深い気にさせられたのだった。じつは最近、某仕事で失態をやらかしてしまい、ずっと気分が落ち気味でいるのだが、たぶんあっちの世界で鼓舞してくれてるかもしれないな?と勝手気ままに感じてみたり・・。いずれにせよ作家としてこれからも続けていくための指針の根っこの部分を再見させられるような出来事だった。以前、小津監督のお墓に挨拶に行った時もちょっと不思議なことがあった。こんな隅っこの隅っこのそのまた隅の隅っこで特に誰からの期待もなく続けてる一匹の阿呆にもなにか力を注いでくれている??ことに感謝の念以外なにもなかろう。宇宙の様々な動機によって生まれるあらゆる事象は、たとえ風ひとつでさえも意味があるともいえるし、ただの偶然ともいえる。身の周りおこるあらゆる事象をどう捉えるかは一個人の勝手で良いのだし、そうでなきゃ太古からある詩だってとっくに廃れて人類存続否かにまで通ずる、考えてみればとても重要なことなのだろうと思う・・。そんなワケでやはり、人はパンだけのために生きてはいないのだ。