2025年12月3日水曜日

2024/12/3

「パンと植木鉢」
 先日、東京藝術大学横浜キャンパスへ約30年ぶりにモフセン・マフマルバフ「パンと植木鉢」を見に行った。上映後に諏訪敦彦監督の司会でマフマルバフ監督本人のzoom参加によるトークセッションもあり、充実した時間を過ごさせてもらった。30年ぶりに見た傑作「パンと植木鉢」は新鮮さもあり、またすっかり忘れていたシーンも多くあったりで、改めてイラン映画の素晴らしさを直視することができた。トークのどこかでマフマルバフ監督から「流行の作風の映画を作ってもその時は歓迎されるかもしれないが、必ずしも残る作品になるとは限らない。独創豊かな作品は広く受け入れられないかもしれないが末永く残って行くだろう・・」の、ような言を発せられ、まるで自分のことを言われているようで心に残ったので、そのことをインスタのストーリーズに掲載した。それから数日してアジア映画全般を取り扱う映画専門サイト Asian Movie Pulse というサイトで上映から15年以上たったいま「吸血 Sanguivorous」の評(Panos Kotzathanasis)が掲載されたことを配給の伊地知さんのFacebookのリンクで見た→

Asian Movie Pulse 映画「吸血」評 英文 by Panos Kotzathanasis

「吸血 Sanguivorous」
 ここ数年になって、吸血を評価する海外の映画マニアとかホラーマニアのコメントをよく見かけるようになって、ひょっとして吸血も時間が経つにつれ徐々に受け入れられる層が広がってきたのかな?と感じていたところだったので、こうして公式な映画サイトで批評家による評を頂戴するのは率直に嬉しい。そろそろライヴ上映会を開くときが来たのかもしれない。まえはコロナ直前に上映会を企画したが、演奏家の中谷氏が米国の呼掛けにより米国へ引き上げることになって実現しなかった。中谷さんの衝撃的なライヴ上映は圧巻だったため、またいつか実現したいと思っている。

2025年2月1日土曜日

2025/2/1

 


自分が監督しなくても脚本だけでも良いからいわゆる「一般映画」に足跡残せたらとの想いで長編書いたが、ま、やはり人生そううまく行かないわな。映画はお金かかるし、日本の場合、ストーリーがダークだと余計機会に恵まれない局面もあるしな?それに一体、どこの馬の骨かも判らん奴の売れそうもない映画に誰が金出すっつーの。脱稿してから約一年半経ったが、あの脚本の命運もそろそろ書いた当人のやる気が失せてくる頃になったかも。ま、それでも機会があれば別だけど。映画化されない映画は昔かいた戯曲と一緒にいつか本にするわ。 最近、金井さんの「微笑う銀河系」という本のことをふと思い出すんだが。あの人オレに「ヨシモト、映像作家なら一冊くらいは本だしとけ、その代り一冊だけ。大島渚は本書きすぎ。映画作家は映画で勝負するもんだ。でも一冊くらいは出しとけ」みたいなことを言ってた。そのごその本を目黒のどっかの古惚けた古本屋で見つけた。立ち読みだけで金がなかったから買わなかったけど 笑。たしかご自身の半生と映画脚本が寄せられてた。

ま、なんにせよ、やはりインディペンデントでの映画作りに精魂籠めたほうが得策かもと、ここ数日思い直してきた・・。 つーか、そんなムズい話でもなくて、単純に、オレもう映画撮りたい。オレの自分の映画を。頼まれの短編企画が全部終わったら、なんか撮ろう。それまでに構想練ろう。低予算で出来る映画を。それでまた海外進出してやるぜ。

2024年10月2日水曜日

2024/10/1

 

誰しも昔は、その当人が必須と思うなら、言いたいことや考えていることを日記につらつらと書き綴ったものだった。オレもそういう人間の一人だったが、やがて掲示板やブログ、そのごのSNSの普及により、公開という特異な環境下で自身に起こった出来事や心情を書き綴るようになる。はじめは違和感を覚えつつも、時流にのって書いていくことになった。とはいえ、よりパーソナルな出来事はさすがに書いてはいない。そのためSNSの普及が進行する中でごくごくまれに日記帳に思い倦むことを書いたこともあった。指で数えられる程度だが。で、今日はふと、根っこ方で知らずに滞留していたもやもやや、これまであったいろんな出来事を忘れないうちに、久々に日記帳を開いて書いてみようか?なんて思ったりした。パーソナルな出来事や心情を文章に吐露することで自身を安定させていたのかもしれない。これは精神科でも日記は良しとされてるそうだし、心を安定させる意味で良いことで、SNSも同様に、文章を書く練習にもなる。 がしかし、近年のいわゆる「公開された環境」のもと、徒に感情論が世上やSNS上で拡散し横行し、ちょっとした社会論争にまで発展していくという構造は、あまり衛生的なことだとは思えない。だがそれはひょっとすると誰かを助けてるのかもしれないし、でもオレはそういうのあんま読まない。なんだろな、それはアンタの問題、これはオレの問題、みたいな人と人の間を巡る境界線がえらく昨今乱れてる気がする。人として、それはえらくみっともないことに思える…。またこの、「人として」を説明するのは至難の業のため、正論のごときが市民権を振りかざして猥雑さを拡散させたりもするしな・・。

ところで今日(先日)は目が覚めたのが夜の23時でヤバいんだが、寝たのが同じ日のたぶん3時ごろか?酔ったまま寝て一度昼ごろ起きておむすびを二つ食べてまた寝てしまったのだ。腹も空いたので近所の中華へ行って肉野菜炒めとご飯を食った。狭いけど繁盛してる店で、だいぶ昔に行ったら予約一杯で諦めて、それ以来、入ったことなかった。今日初めて食べたが、とても美味しかった。「いいメシ食った」という素朴だけど下手すると懐かしくて大切な満足感に包まれ、染み渡る有り難みに言葉が暫く出なかった。

そのまた数日前、中野へ仕事へ行き、夜の撮影だったため早めに出かけて脚本家のKさんとライターの同じくKさんに久しぶりに会って談笑。去年書き上げた長編脚本はいまも映画化を果たされることを待っているようだが、運命の風向きはどうやらどこにも吹かず何もないままその日を待っている。やはり自分で監督する、という勢いと精神で挑まなければ動くものも動かないのかもしれない、そんな話をすると二人とも首を縦に振っていた。んーマイッタ。やるかやらぬか、ひとまずはなにかのきっかけを待つことにする。新作も書きたくなってきたしね。いや、また戯曲だって書きたいと思ってる。

2024年9月7日土曜日

2024/9/6

昨日、あることを思い出して何年も開いてなかった黒澤明の本を手に取って、気になったところを発見してそのまま何気なく他の箇所も読んだりして、また棚にしまったんだが、あとでSNSで黒澤監督の命日だったと気がついた。これって記憶のどこかの器官が無意識にそういう行動をとらせたのだろうか?それともなんかあっちの世界で知らせようとしてくれてるのか?? 本には当時赤線を引いたりして独学で映画の勉強してた頃の自分がそこにいて、いろいろ感慨深い気にさせられたのだった。じつは最近、某仕事で失態をやらかしてしまい、ずっと気分が落ち気味でいるのだが、たぶんあっちの世界で鼓舞してくれてるかもしれないな?と勝手気ままに感じてみたり・・。いずれにせよ作家としてこれからも続けていくための指針の根っこの部分を再見させられるような出来事だった。以前、小津監督のお墓に挨拶に行った時もちょっと不思議なことがあった。こんな隅っこの隅っこのそのまた隅の隅っこで特に誰からの期待もなく続けてる一匹の阿呆にもなにか力を注いでくれている??ことに感謝の念以外なにもなかろう。宇宙の様々な動機によって生まれるあらゆる事象は、たとえ風ひとつでさえも意味があるともいえるし、ただの偶然ともいえる。身の周りおこるあらゆる事象をどう捉えるかは一個人の勝手で良いのだし、そうでなきゃ太古からある詩だってとっくに廃れて人類存続否かにまで通ずる、考えてみればとても重要なことなのだろうと思う・・。そんなワケでやはり、人はパンだけのために生きてはいないのだ。

2024年8月12日月曜日

ここのところの上映会

 ひさびさのブログ投稿~ 昨年末の映像展「影像人間」、5月「Just Play It!」、7月「若葉町ウォーフ  波止場のふたり展」、8月10日の「スタミナアートカンパニー  映像室杮落し上映会」と4つの上映会で過去作を上映、さらに「波止場の二人展」上映会のために新作「円 Circle」を発表。
上映した作品は以下の6作

「1/3の発光」(2018/11min) 影像人間
「変異之夢」(2015/41min) 影像人間/波止場のふたり展
「チカチカする ハルの川」(2019/52min) 影像人間/波止場のふたり展
「nowhere」(2006/10min) Just Play It!
「まぼろしのシャローム」(2015/20min) 映像室杮落し上映会
「円 Circle」(2024/12min) 波止場のふたり展/映像室杮落し上映会

当初8月は月末〆切の某映画祭に中編か短編の新作劇映画の応募を考えていたが、それに向けての制作はいろいろ立て込んだのでキャンセル。昨年末から連絡を取り合っていた夏の中国の某上映会がドタキャンされたため、相当怒り心頭だったが、「転換期」と捉え直してひとまず今後の流れを見据えていた。暫くしてウォーフから上映会の依頼があり、結果として二人展として画家のキムガウン氏と展覧会を開くこととなり、過去インスタレーションと新作短編制作を含めた映画作品の発表の場を得られることができた。振り返ると昨年末を含めると計4つの上映会に参加した。客数は決して多くはなかったが、鑑賞者と近い距離でのコミュニケーションはいずれも良い収穫だった。とくにまた、偶然のタイミングではあったが、横浜に来て10年が経ち、11年目となった年月的な節目の時に「円」という循環をテーマにした作品を創れたこともなにかの偶然か?振り返ればたしかにこれはなにかの「転換期」なのだろうと思う。

「チカチカする ハルの川」(2019/52min)
「1/3の発光」(2018/11min)


「変異之夢」(2015/41min)

「nowhere」(2006/10min)

「まぼろしのシャローム」(2015/20min)

「円 Circle」(2024/12min)


2023年5月11日木曜日

バイデン米大統領、G7欠席も 債務上限問題「進展なし」

2月3月くらいから米下院が共和党勢になったおかげで次の予算で6、7月以降ウクライナへの支援はなくなり、そのためようやくこの無益な戦争も終わりを迎えるってハナシが水面下では常識的に広がってた。だから5月にデカ目の軍事作戦が展開されるみたいなハナシもあったが、どうもゼレンスキーの逃げ場所探しの方が積極的な気もしないでもない?(あとあのヘンちょこドローンとか??なにあれ?知らんけど 笑) 米はデフォルト避けられず。インフレ対策で利上げしたくても今度は価値が下がってひっ迫する。いまあっちでは地方銀行がどんどん潰れているらしい。にっちもさっちも行かない状態。戦争が終わって誰が誰に責任負わせるのか??おそらく日本にいる限り米国やウクライナを立てる情報しか流れないだろう。表向きそうして、裏で上手くロシアとまた手を握るのが挟まれた側が精一杯やれること。佐藤優が言うにこの件で岸田政権で特筆できるのはウクライナへの支援は米国の100分の1で同盟国最下位、しかも軍事支援と言っても殺傷能力あるものはゼロ。ここがことが終わったあとロシア側と上手く関係修復できる条件とのこと~たしかに。 で、それはそれとして、制裁しておきながら結局自分の首を絞めることとなった米国。この経済打撃がこれからどう日本にも影響されるのか、現時点でリーマンショックの3倍みたいだが、これからもっとデカくなる。あん時も仕事減ったんだけどなー。 こういう大きな経済、金銭的流れが中国、ロシアとの関係を深めさせ、長く言われてる覇権のシフトという激動の流れになるんだろうか??と、そんなことを頭の中で思い描いている昨今。 つーか、最終的にバイデンのオバマ政権から展開してた欧州、ロシアへの根拠不明の情念だけが残り、ただそれに世界中が振り回されてただけな気もする・・。

バイデン米大統領、G7欠席も 債務上限問題「進展なし」








2022年11月4日金曜日

これから

 いろんなオシゴト映像に取り組みながら頭の斜め奥の方で今後の人生展開と作家展開を考える…

仕事に追われるとつい脚本が休すみがちになる/なっている。でも良く書けてる気がするからまあいいか・・。
それにしても今年はいろんな方面で調子狂わされることが多い。社会は喧しい展開を期してつい数年前の感覚ではあり得なかったはずの事柄が、今は当然の顔をしている。違和感だけが、どことも言わず周囲に漂い消えていく。いろんな意味で転換期の到来か?それに便乗して自分もそろそろこの地を離れるべきか?とよぎるのも事実。
でもなにも確信に至らないし、なにも決まらない。

それともこれから深刻な不況になるだろうから、いっそのこと下のスタジオを引き払って、また上だけを確保して凌ぐか、などもある。ああでもないこうでもないと、考えながらなにも明確にならず日々が過ぎてゆく。昔と違うのは、あとはもう年取るだけ、そんな状況でオレにできることはなんだろう?ということなのだ。たとえ、これまでのをすべて畳んでも表現行為をやめることはないだろう。そういう人間だからだ。頭が可笑しくならないために表現行為でバランス取る。これまでのすべてはただこれのためだったのかもしれない、とも考えようによっては思えてしまう・・。