2010年2月3日水曜日

メクルメク

これでもか、というほど人生とはいろいろな課題を投げかけてくる。
つまり、それらと如何に関わり、応対し、やがて芽生える自分なりのささやかな思想を抱けるかによって、その後の人生の経路も変わってくるものなのだ、といわんばかりに・・

などとは言いながらも、3月の完成試写会にむけて現在、『ファラヲ』に取り組んでいる。
『吸血』とはまたぜんぜん違う特殊効果の嵐で、かなり辟易しながらも、あがった素材を繋いでみるのはやはり楽しい。直しも多々あるけど。
『ファラヲ』がいわゆるXX賞的な意味合いで如何ほどのモノか、見当もつかない。むろんいまのところどこのコンペにも出す予定はない。そんなことは、どうでもいいワケだ(笑)。

最初はビデオモードで撮ろうと思ったほど、この作品はあまり映画映画していない。結局現場で24p(フィルムモード)で撮る事にしたんだけど、ビデオにする勇気がなかった(笑)。でも上がってみると不思議とビデオっぽく見える。 自作で一番映画的な画面があったのは、『ぽかぽか~』と『Nowhere』だと思う。まああと『ドライ』と、『リア王~』は、場面場面で、上の二本に比べればないけど。
『エコノミークラス』の画面はまったく映画的じゃない。
『吸血』は、意識しすぎてしまったかな?
もう一度『ぽかぽか~』みたいな作品作りたいな、と思うけど、もう無理なんだろうか。。。
あの夏のぼんやりした感じが、また撮りたい。脚本も殆どなくて、画だけで繋げて適当なセリフをつけて、だからってそれに「実験的な試み」みたいな気負いもなくてね、すごくイイ感じで作れた。そういう雰囲気が作品にも溢れてるしナ・・


立ち読みでロラン・バルトを捲ってみると、

『「絶望」 じつに演劇的言葉』

みたいな一行を見た。ウム、たしかにえらく演劇的言語かもしれない。ロラン・バルトがどういう意味で思ったかは判らないけど、じつに大袈裟な言葉だ。舞台の上でしか成立しそうにない(笑)。まあ日本語の「ゼツボー」でのハナシだけど。。。

『ファラヲ』が完成したら、次になにを撮るのか、いまなんとなくいろいろ浮かんではいる。商業脚本のものや、自主映画のもの、いろいろある。商業用の長編を書いてもなかなか映画化に漕ぎ着けないのは残念だけど、まあそれも仕方ないことだ。映画にしてくれなくても良き理解者的なプロデューサーに出会いたいものだが・・。 ま、いずれにせよこれからもいろいろ書き続ける。作品が増えるのは楽しいし、製本したのを並べるのが結構趣味だったりする。 ・・あと、できあがった紙をぱらぱら捲るのもなんともいえず優越感に浸れる(笑)。

「信用」という二文字がSF映画のバリヤーみたいに、無名人間とそうでない人間とのあいだに隔たっていて、そいつを突き破るのにえらい時間と労力がかかっている。商業への参加はその問題に尽きる。プロデューサーは売れるものを発案してから脚本家に声をかける。順序がある意味逆になっているのが現状だろう。
でもま、それもいい、オレはインディペンデントでも充分楽しんでるし、楽観的に構えようというのが少なくとも今の対策だ。メディア商品が売れなくなったこの時代に、これまでのやり方でやってもなかなか巧くいかないだろう。新しい表現の訴え方はまたアンダーグラウンドから発信されることになる、と信じるしかない。

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