2015年11月24日火曜日

テロに、なんとなく、思ったこと

神保・宮台ビデオニュースと町山氏のテロに関するトークを聞くと、数年前までは孤独だったラスコリーニコフ(または地下室の手記の主人公)の子らがテクノロジーの果てに一致団結し叛乱を冒しているようにも見えてくる。世の中の地下に潜む憎しみや怒り、妬みは確実に存在し、時に人や世間を脅かす。それは、ただのキレイごとでは絶対に清算されるものではない。本質的には、誰がどうやったって解決するもんじゃないだろう・・・。 歴史上でもイエスとガンジーくらいしかその問題に直接全身で取り組んでないんじゃないだろうか・・。 まあ、なんにせよ、問題はそれ以上に、若者の焦燥を利用する連中が社会には確実にいて、案外凄く近いところにいたりする、ということだ。 また仮に一旦その問題を綺麗にしたとして、では、オレたちにはなにが残っているのか?自由、という掴みどころの無いものか? 結果、大審問官はそれ見たことか、と見失った平民を嘲笑う。

だが本来、人はなんとしても誰一人として調教されてはならんのだ。仮にオレがテロリストに木っ端微塵にされても、オレは存在すると、声高に叫ばんとならん気がする。無論そのときは時既に遅し、ではあるのだがな。