2016年1月3日日曜日

年明けて思うこと

ここ数日アーティストの人たちやそれを取り巻く環境、今後の未来などのハナシを聞いたり、それについてぼんやり考えさせられながら、やっぱオレはアートじゃなくてあくまでも映画で、(しかも一人でやってるから)じゃあ今後どういう展開に持ってくか?黄金町の環境から如何に飛躍するべきか?そんな漠然としたことがキーワードのように薄ぼんやり脳裏を巡っている。

つまりここは、アーティストへの理解とサポートはあるし、まだまだ修復、実験等しながらもそれを展開する人材や術も備わっている。それは素晴らしいことだし継続されていくべきだろう、課題は豊富にある。ただ幸か不幸か、オレは映画をやって行く事を拘り続けたい。なんというか、たとえば環境が備わっているからといってそちらへ自分のベクトルを合わすという展開もありうるだろう(たとえば映画的方法論、表現はやめて、空間アートやインスタレーションを真剣に取り組む)、それは利口な行いかもしれないし、運営側も作家として発表・紹介しやすいだろうし、理解度も増えるのかもしれない。だが、それでも頑固に映画で己を貫きたいと思っている。むろんその間に作家として多角的にアートで実験したいし、インスタレーション等のアイデアもある。が、たとえそうだとしても、もういい加減着実に映画を作る方向へもっと信念を向けなければいけないのだ。それがオレには希薄だったと思う。いい加減早くやらんと年が更に嵩んで死んでしまう。あとはオレが己の信念のボルテージを上げれば良いだけなのだ。
映画人にとってここの環境がどの程度機能しているかは未知数だ。どうしても違う畑に足を踏み入れているのではないだろうか?という懸念は否めない。むろん、ここへ来て多大な援助やサポートを受けているし、仕事としてもオレのような人間を使って頂いて心から感謝している。生活苦も駒場にいるころより確実に良くなった。 ・・いや、もしかしたらこの感覚は、単に自分の中で否が応にも育ってしまった一種の「孤独病」なのかもしれない(笑) そうだとしたら、オレはそんなもんコワかねーけどな(笑)

まずはこれまで考えた企画やアイデアを総括してひとつに絞ることが必然だ。そして脚本執筆に取り組もう。この2年の間に確実に長編映画を完成させ、3年後でも良い、絶対にそれを映画館(単館で良い)で上映させるところまで持ってかないと、これまでこの人生を生きてきたことが全て無駄に終わる。このままなにもなく死んだら、自決したのと大して変わらん。