2006年8月5日土曜日

ウェーだ

今日はお昼に ぢ・がべるとふ集団第4弾 を撮影し、終わった時点でようやく製作に入る某DVDの撮影のため長野へロケに行く-再び上田だ。
2年前のイベント 盆わーぷ、そして『ぽかぽか雲とぱたぱた大地とのあいだ』の製作で大変お世話になった滝沢家にお邪魔して農作業や旬の野菜を収穫するシーンを撮る。
振り返ってみると上田には2002年の「海の向こうより山の向こう」表現展から2年周期に渡って訪れている-言うなれば上田を廻るX彗星みたいナ・・(笑)

盆わーぷのときやった『いくといる』というライヴパフォーマンスのコンセプト-「行く(訪れる)」立場の人間と「居る」立場の人との関係性-は、パフォーマンスが終わっても未だこうして続いているのかもしれない・・。 当然2年前には今回のような理由でまた上田を訪れるとは思ってないワケだからね。

上田にはどういうわけかいろいろ縁があって、いまから12~3年前、僕の記憶が正しければ、国内初のハイビジョンシンポジウムが開催され、わざわざアメリカの短大を1週間休んで帰国し、それに参加した。 母親がシンポジウムを開催したエライ官僚さんを知ってたわけだ。 当時流行ってたスパイク・リーが大物ゲストとして参加してたり、こういう会には必ずといってイイほど顔を出す大林宣彦、もいた。 あの時知り合った沢山の人らとはその後まったく交流ないけど、映像続けている人間はどれくらい残ってんだろう・・ その後も上田市出身の人に何人かめぐり合った・・・ 

そうそう、シンポジウムが上田で行われていた、ということに気がついたのは2年前だった。 「長野のどこかの街・・・」 ということしか覚えてなかったけど、盆わーぷで街中をドライヴしたり、当時シンポジウムを実行委員として運営していた映像関係の人とその後仕事で知り合い自分の記憶に確信を持った。  ・・ところでそういう意味で日本の「駅前」というのはまったく信用ならない。みな同化してしまった。 時がたってても上田駅が当時の面影を残していたらもう少し早く気がついたことだろう。 昔の恵比寿の駅前が懐かしい。駅員が切符を切ってた頃の映像はまだ記憶に残っている。。。 いまでいうガーデンプレイス側なんてホントちっちゃな改札口だった-勝手口みたいな改札口だったもんナ。