2007年9月28日金曜日

下の最後の問いに自ら 「NO」 と答えよう。

要するにそれじゃ、精神論の問題ということになる。精神論じゃ映画は撮れない ~ 他のすべてのものも同じく。 作ったにせよ、それはこっけいなもの。精神論はつまり、宗教だ。 宗教で作品ができるわけない。 ・・というか、オレはこれ(精神論)に嫌悪を覚えるし、世の中で一番嫌いなもののひとつだ。

だが信仰(という問題)で作品は作られたことは多々ある。 タルコフスキーが『アンドレイ・ルブリョフ』作った理由のひとつはそんなところにあるんだろう・・。 『冬の光』のベルイマンとかも。

信仰は個人の問題だ。 宗教は集団を求める。 集団性の醜さは誰かが必ず誰か(何か)に頼っているという点だ。集団が個々の中(うち)で繋がっていれば、良いのかもしれないが、どちらにせよ、見たこともないヤツ(神)をどう皆で信じろってんだ。 神がいるにせよいないにせよ、それは個人の信仰の問題だということは自明だ。 最近じゃ神が人間だったりする。これじゃ、信仰もヘッタクレもないぜ。 そもそも人間は、神なんて信じられないようにできてる。 それを信じろというのが「神」からの宿題なんだから。

映画の問題
・・・問題なんていうのは少し大袈裟かもしれない。オレ自身はただの無名なインディペンデント映画作家だ。 とりあえず、それをよしとしよう、それが無名である条件だ。