2012年7月30日月曜日

親父の死

7月19日、父逝去。
ほんの数分遅れで死に目に会うことはできなかった。さっきまで生きていた親父は触るとまだ常温で血色も良く見えた。いつも見舞いに行くと浅い眠りに入ってるその姿はまったく変わらず、こちらの呼びかけに直ぐにでも目を覚ましてくれそうだった。その、まるで夢でも見ているかのような感覚を捨てきれず、親父を呼んだが、むろん目を開けてくれることはなかった。 
20年近く前、母を亡くした時の死ぬ寸前の深く、長く、そして大きな間をおいた尊い息遣いはいまも忘れることはできない・・。抜け殻となった両者に共通して痛感したことは、オレたちはみな「生き物」である、ということ。
親父の遺体は病院の霊安室へ運ばれ、明け方になって兄が訪れるまでの数時間、ずっと永眠した親父と共にいた。いろんな記憶が蘇り、何度か声をかけた。半身不随の辛い毎日を生き、さらに遡って自ら選んだ数年間の孤独生活を歩んできた親父は、本当に遣り切ったような清々しい表情をしていた。正直、美しくさえ見えた・・。 むろん親父は世間で言われる成功者ではない。むしろ完全に失敗者の方だ。だが、誰にそれを審判できよう?親父の生き様を知っているのは他でもない親父自身なのだから。この世のものさしなど死者に通用しない。勝利するのはこの世の道理を貫いた者なのだと、その親父の死顔は微笑みながらオレに語ってくれた。

いま一週間が過ぎて自分の日常がさほど以前と変わらないのは親父が施設暮らしをしていたからで、だがそれでも脳裏に容姿や共に暮らした日々が浮かんでは消える。江戸っ子堅気のしゃべり方とかさ・・。ああいう喋りは文化なんだと、いまさらながら貴重に思う。 死んだなんて、とても思えない。長い旅にでも出たんだと。。

親父が死んだ日の開けた朝陽はまるで天国からお迎えが着たように眩しくてとても斬新な光だった。 さらば、オヤジさん、まあまた会おうぜ。 これまで、本当に、、ありがとう。